自由と不自由に憧れるゲーマーたち

ここ何年かのゲームのトレンドといえば、オープンワールド、サバイバル、サンドボックス、クラフトの4つがやっぱり目立つ。
GTAなんかを筆頭に、昔からあるジャンルだけれども、マインクラフトなんかはじわじわと人気を伸ばし、今はあのドラクエさえもがシステムを取り入れたりしていよいよ一般的なジャンルへと変わりつつある。レゴのような世界感で自分で世界をクラフトしていく。

PCゲームではようやく落ち着いたといえ、上記の4つをうまく全部入りさせたポストアポカリプスと呼ばれるゲームが人気。
もはや金字塔といえるFalloutシリーズに、ゾンビサバイバルのDayz、H1Z1等も人気で、変り種としては極寒の世界や海底でサバイバルを楽しむものもある。

どのゲームも共通しているのは圧倒的に自由で、圧倒的に不自由なところだ。
コンセプトと目的は与えられるが、そのほかには何もない。
ゲーム内で実現できる範囲とはいえ好きな事ができるが、そこまでは何もなく、とにかく不自由な状態から手探りで自由を得るという点で共通している。

一昔前のゲームは与えられたシナリオを楽しんでいくのが主流だった。
そこはやはり非現実へのあこがれとか空想とかそういう楽しみ方だったと思うけれど、今のこれらはそこもプレイヤーに任せている。
現実もそういう風潮はあるけれど、どんどんできることは広がるのに、自由というものを求めてしまうのは、きっとどんどん現実が不自由になっているって事なんじゃないかとふと思ってしまった。

そんな今年は3DVRゲーム元年とも呼べる年になるわけで、そろそろ戻ってこれない人が生まれてきてもおかしくないんじゃないかなと、
海底をサバイバルしながら思ってしまった。